企画展「江戸の華 歌舞伎の世界」 2004年7月28日(水)〜9月5日(日) |
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入館料は大人500円、 月曜(祝日の場合は火曜)休館。 菱川師宣記念館(0470―55―4061)へ |
出雲阿国によって歌舞伎踊りとして始まった歌舞伎は、江戸時代、庶民の娯楽として著しく発展し、浮世絵のかっこうの画題として多くの浮世絵師によって描かれ、役者絵というジャンルを確立しました。歌舞伎自体も芝居性を濃くしていき、荒事、世話物、時代物などいろいろなストーリーも誕生し、多彩な役者たちが活躍し、庶民の人気をさらいました。その伝統は今なお受け継がれています。 この展覧会は、浮世絵に描かれた人気歌舞伎役者や人気演目を始め、看板絵、歌舞伎衣装、小鼓、笛、コンチキ、雨うちわなどの小道具をあわせて展示し、当時の庶民を熱狂させた歌舞伎の魅力を紹介します。(全文パンフレットより) ※ 江戸っ子の心意気 助六「黒手組曲輪達引」 ※ 舞台は木更津切られ与三郎 「与話情浮名横櫛」 ※ 悪女岩藤 女の戦い「加賀美山旧錦絵」 ※ お岩の怨念 戸板返し「東海道四谷怪談」 ※ お家乗っ取りをたくらむ悪玉 仁木弾正 「伊達競阿戯場国」など |
※ 8月17日(火曜日)観に行って来ました。ついでにばんやで新鮮な魚料理を満喫 (o^x^o) | |
歌舞伎の歴史 | |
歌舞伎の始まりは、慶長初め(1600年頃)出雲阿国が始めた歌舞伎踊りです。男装した阿国が傾いたかっこうで女性集団と踊る芸能は、歌舞伎踊りとして当時熱狂的な支持を受けました。遊女をかねたこの女歌舞伎は、江戸時代に入り、各地に広まりましたが、風俗を乱すとの理由で、寛永6年(1629)幕府により禁止されました。それに変わって台頭してきたのが若衆歌舞伎です。前髪の美少年による踊りや軽業のこの芸能も、やはり男色を兼ねていたため、承応元年(1652)に禁止されました。 そこで若衆の象徴である前髪を剃り落として野郎頭になること、色気のある舞や踊りでなく、演劇として芝居を本道とすることを条件に、翌年再開を許されました。これを野郎歌舞伎と言い、現代まで続く歌舞伎の元となります。歌舞伎役者が全員男性なのは、こうした経緯があったからなのです。 以後、演劇的な形態を濃厚にして発展した歌舞伎は、多くの名優の輩出、優れた狂言作者の登場などにより、日本の演劇の一大主流となりました。 |
モダンアートの女性美「東郷青児展」 (2004年3月10日〜4月11日) |
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入館料は大人500円、 月曜(祝日の場合は火曜)休館。 菱川師宣記念館(0470―55―4061)へ |
モダニズムの巨匠が描く優美・華麗な女性たちの饗宴 | |
1897年、鹿児島県に生まれた東郷青児は、大正ロマンが交叉する東京で、青春時代を過ごし、絵画の才能を開花させていきました。その後、パリへ渡った青児は、芸術の都で西欧の美学や知識を吸収し、1928年帰国後は二科展にその成果を発表し、注目を集めました。 詩情あふれる女性美を独自の技法で追求した彼の作風は、戦後、広く大衆に受け入れられ、モダンでロマンチックで可憐な女性像として定着し、今なお根強い人気を獲得しています。 この展覧会は、損保ジャパン東郷青児美術館のご協力を賜り、油彩、水彩、デッサンなど彼の代表的な作品を公開する画期的な展覧会です。 モダンアートの巨匠・東郷青児の描くさまざまなイメージの女性を通して、彼独自の女性美の世界を堪能してください。(全文パンフレットより抜粋) |
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(おもな作品) | ||
「自画像」 「花と少女」 「脱衣」 |
「微笑b」 「プロヴァンスの丘」 「サハラ・タマンラセット」 |
特別展「江戸吉原遊郭の女たち」 (2004年1月4日〜2月8日) |
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入館料は大人500円、 月曜(祝日の場合は火曜)休館。 菱川師宣記念館(0470―55―4061)へ |
花の吉原、美を競う女たち | |
吉原遊郭の風俗、遊女たちの姿は、浮世絵が好んで取り上げた題材です。江戸の二大悪所として、歌舞伎と並んで江戸庶民の人気のスポットであった吉原は、幕府の政策で明暦3年(1657)に浅草へ移転された後、ますます隆盛を誇り、ファッション、文化、芸能などあらゆる分野で、流行の発信基地となりました。多くの名妓が誕生し、百花繚乱の美を演出。男たちは、非日常の空間の吉原に夢を結びました。 浮世絵の誕生に貢献した菱川師宣も、吉原を描くことによって、その浮世絵師としての地位を確立し、以後、吉原風俗画は、多くの浮世絵師たちによって描き継がれ、江戸の風俗を映し出す貴重な資料ともなっています。 この展覧会は、吉原の誕生から、その歴史を振り返って、吉原遊郭の風俗やしきたり、粋と張りを競い合った遊女たちの女性美を通して、さまざまな角度から吉原を紹介する展覧会です。(全文パンフレットより抜粋) |
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(おもな作品) | ||
「花魁」 「青楼十二時夜寅の刻」 「吉原仲の町桜花爛漫の賑わい」 「八朔乃図」 「遊郭善玉悪玉」 「屋内 篠原 真砂地」 |
歌川 豊国 菊川 英山 歌川 国貞 鳥文斎 栄之 栄松斎 長喜 喜多川 歌麿 |
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2004年1月16日 (金曜日) | |
陽気に誘われて出かけて来ました。知ってて観賞したら面白いかもをφ(・_・)メモメモ | |
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元禄繚乱 | 元禄文化の絵画の分野で大活躍したのが(菱川師宣)です。浮世絵を創始し、吉原、歌舞伎、花見や舟遊びなどに浮世を満喫する江戸の庶民の姿を生き生きと色鮮やかに描く師宣は、当時、江戸絵画界のトップスターでした。若き(英 一蝶)も、師宣の絵に影響され、狩野派から庶民的な絵画を描く道を選び、師宣を追い抜こうと絵の研修に励んでいます。 大阪の(井原西鶴)も「好色一代男」の挿絵を師宣に描いてもらい、江戸で大ヒットさせました。 |
英 一蝶 | 師宣に私淑した一蝶は、吉原に入りびたり、軽妙洒脱な画風で吉原風俗を描きました。大名や豪族の太鼓もちのようなことをやり、狩野派を破門、ついに幕府の怒りに触れて三宅島に流罪となりました。のちに許されて江戸に戻り、以後、(英 一蝶)を名乗ります。流罪前の名前は(藤原 信香のぶか) |
花魁 | 吉原の初期には、遊女の最高位は太夫、格子、散茶、局女郎などと格付けされていました。吉原の大衆化に伴い、宝暦頃(1751〜63)には、太夫、格子は消え、中級遊女の散茶が最高位となりました。上級遊女を「花魁」と呼ぶようになったのは、享保(1716〜35)です。新造や、禿(かむろ)が、自分の仕える姉女郎を「おいらの姉様」と呼び習わしたのが詰まって「おいらん」となったと言います。 |
関連美術館 | 川崎・砂子の里資料館、 たばこと塩の博物館、 千葉市美術館 |
お食事処 やすみ処 |
鋸南町保田漁協直営食事処 ; ばんや 鋸南町保田漁協直営 お風呂とご宿泊 ばんやの湯 |
企画展「泥絵の風景」 2003年4月18日(金曜日) |
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入館料は大人500円、 月曜(祝日の場合は火曜)休館。 菱川師宣記念館(0470―55―4061)へ |
房日新聞(2003・3・5付) 江戸の風景一堂に 江戸後期に西洋画の影響を受けて誕生した日本独特の風景画の技法、泥絵の作品を集めた「泥絵の風景」展が開かれる。泥絵のコレクションとしては国内最高を誇る「渡辺紳一郎コレクション」から選んで展示する。 泥絵は胡粉を下地にした安価な泥絵具を使った絵画で、江戸後期に西洋画の影響を受けて誕生した。浮世絵の風景画と、司馬江漢一派の西洋画が交流し、発展してきた。長崎、上方、江戸の3系統からなり、いずれも無名画工の手によって生産された。遠近法を駆使した洋風表現の強い風景画が好んで描かれ、土産品として量産されてきた。 画面の上部大半を空で占める独特の画面構成で、海外から移入されたプルシアン・ブルー(ベロ藍)を多用して、鮮やかな青色を表現している。 柴花江氏所蔵の渡辺紳一郎コレクションから、小田野直武や司馬口雲坡らの作品を展示する。「神田明神」「両国川開」「内藤能登守上屋敷」など、江戸の情緒を伝える作品を集めた。 |
菱川師宣記念館全景 | |
撮る角度が少し悪かったですね。
画面中央右手に見えるブロンズ像は「見返り美人像」です。 これは、“女優の真野響子” をモデルに “長谷川昂” が製作、平成3年2月11日除幕式を行ったそうです。 館内には見返り美人が絵の中で身につけている衣装・小袖が再現製作され展示されています。 |
鰭崎 英朋 展 2002年1月4日(金)〜4月7日(日) |
「月に立つ影」 |
「大正のロマンを彩る美人たち」〜挿絵画家英朋の生涯と清方・華宵・夢二ら描く美人たちの競演〜とサブタイトルがうたれていた企画展である。展示室に入ると、雰囲気はまさに「大正ロマン」。どこか耽美で妖艶で都会的な洗練された美意識がもたらされた時代を清方・華宵(惜春譜)・夢二ら描く美人画から匂いたち、大正時代を中心に、美人画・新聞紙上の相撲絵・大衆雑誌や小説の挿絵・口絵などで活躍し、一世を風靡した英朋の作品からも伝わってきます。 下絵とあわせ完成作が展示されているのも興味深いものでした。 「月に立つ影」や「衣替え」「芙蓉」などの作品の中でちょっとおもしろいなと思ったのは「続風流線」 |